miriamsan’s diary

凹んでもすべては過ぎ去ります。大丈夫、緩めのブログでケ・セラ・セラ。

思い出のかけらになった仕事💐

2020 3/26 (木) 雨

【 若い時に済ませた苦労として遺った思い出】

バブルと言われていた頃
私はある冠婚葬祭の会社に新入社員として入社しました。
今から30数年前の事です。もう、記憶さえ薄れてきています。
あれから、何故か何度も転職をし、今はパート職で落ち着いているのはあの頃の無茶な毎日があっての事。
いや、その後も勤務時間などかなり無理のある働き方も当たり前の様に頑張って来ました。

だからこそ今が幸せだと思えると、私は確信しています。

最初の就職は、自分の資格を生かした仕事でもなく。
特にやりたかった事でもなく、ただ仕事として収入を得るために選びました。
それは、自分のもつ資格に何も夢を見い出せ無かったのでしょう。
堅実な仕事より、働けば働くほど収入を得ることが、魅力的だったのです。

配属のフロアーでは、にこやかに、きちんと化粧もし、身だしなみを整え、発声練習までしたり。
毎日の朝礼では、当番でスピーチがありましたっけ。
とても、嫌だったけど優しい先輩たちの頷きが嬉しかった・・・。
決められた役割の他にアイデアがあれば、遠慮なく提案出来るよう1人ずつ毎日の日誌も提出する事が義務でした。
私の提案が通り、ロビーにオシャレな電話ボックスが出来たのは驚きでした。

他にも仕事に附随するアルバイトも出来たので、当時は車に洋服にと結構自由に楽しむ事もしました。

ですが、案の定 そういった世界では長く続かず、転勤での人間関係でつまずき、転職人生へと転がりだしたのです。

今となったら、『勉強になった!』それだけです。

華やかだった若い頃も、対人関係で悩んだ事も、仕事がはかどらず深夜までひとり残って頑張った事も、全てやるべき事をやったんだと、言いきれる程に。

地位だとか名誉な事は一切関係ない。ただの働く女性。それでいい、人には身の丈と言う物があるらしい。
それは、こういった様々な経験を積むんだ!と言う事なんでしょうね。

そろそろあと2年で、定年と言われる様な時を迎える訳ですが、身体がもつ限りは働くつもり。

付き合いも、競走も無い。上昇する願望も無い。
それらはぜーんぶ、若い頃済ませてきましたから。
あとは、少しだけ他人様のお役にたてるように、しっかりと立っていることが大切なのです。


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