2022年 仕事はじめの日
明日の1/5までお休みという企業があるのだろうな。
今日は保育所に登園した子供たちはかなり少なかった。平常の土曜日位の人数、食数が確定してから作るのではなく、だいたいの予想数で材料をカットし始めて、人数が決まったら調理し始める。
アレルギー食もずいぶん少なかったので、半分は普通食にお返しした形になった。
子供たちも少ないせいか、いつもの騒ぎ声も泣き声もほとんど聞こえてこない。
賑やかな声がしない保育園は何だか寂しそうにみえた。だけど、出勤している先生方はいつものように機敏な動きで元気そうで、気を休める時間はない。
親が休みの時はなるべく休ませて一緒に過ごすようにと、私の娘はそう言って産休の間はゆっくりしているようだ。実際、引っ越したばかりの家で自由に母子の時間を楽しんでいて、保育園にはたまに預けるような話になっているらしい。
まぁそんな感じで、親が休みの日は子供も一緒に行動できれぱ親子のふれあいの時が持てる。良い機会なのですが、行っても行かなくても保育料は同じだからと子供だけ朝9時までに登園させた方がいいと、そう考える親や先生方もいる。
どちらでもいいようです。
今や、学校だって嫌がって行きたがらない子供だって、尊重され無理の無い生き方を選べる時代。
今のような考え方が、私の子育て時代にあったならば、もっと気を楽に持てたかもしれない。
時代は少しずつ、子育て支援に向かってやんわりと変化してきている。
30年前と比べてみると ずいぶん違うことから、今子育て世代の若い人たちから学んでいかないと、ついていけないような事がたくさんある。
機会を見つけては、若い人たちに話しかけて、こちらの豊富な経験を交えながら、今はこんななんだという常識の違いをすくいとっていくのだ。
けっこう面白い。面白がって教えてもらおう。
先日の紅白歌合戦で、初めて姿を拝見した『藤井 風さん』鍵盤を駆け回る指も柔軟な雰囲気も、新鮮で輝いてみえた。
2022年 明けましておめでとうございます。
【初めてのこと。年賀状】
60歳の節目に迎えたお正月。
昨年暮れは、毎日少しずつお掃除を進め、買い物も計画的に予算をちょっと下回る感じで済ませていき、そうして元旦を迎えた。
元旦には毎年、娘夫婦が挨拶に来てくれる。
恒例行事の正月の魚は義理息子の役割で、ご実家の親戚の家で捌いたものを持参してくれる。
今年は特に大きな切り身だった。その上、カマやアラまで、とてもいい魚で最高。魚好きの私の母もよく食べてくれた。ありがたい。
もちろん孫にはお年玉を。何かと入り用な(娘は臨月)ので、お腹の赤ちゃんにもと渡した。
楽しく会食した後、あれこれお土産を持たせて、孫もお利口さんにバイバイタッチして笑顔で別れられた。可愛い孫、どんどん大きくなる。
しっかりしているが、賢く優しい女性になるだろう。永遠に幸せあれ。
わたし、今回初めて年明けてから年賀状をかいた。
忘れていた訳ではなく、そうしようと決めていた。
何故なら、親しくしている人は殆どラインをしているので、ライン年賀状の方が早く新年の挨拶ができるから。ラインではちょっとという相手や、そもそもラインをしていない親戚は今日の午後、書いて投函した。わずかな枚数だった。
元旦の早朝からライン年賀状のやり取り。
やってみると、今の時代のスピード感に合っているようだ。しかも一方通行ではなく、会話だって成り立っている。それでも、
さらに親しい間柄においては、直筆の年賀はがきがありがたいこともあるようだ。
午前中、娘夫婦の元住んでいたアパートの掃除手伝いをするために行ったら、孫ちゃんが嬉しそうに年賀状の束を持っていた。
『おめでとうございますっ』てかいてあるんだよ~
と、得意顔でおませに説明してくれる。
若い夫婦同士 近況報告する手段でもあるようだ。
家族や赤ちゃんの写真がプリントされているその幸せいっぱいな年賀状は、見るだけでも雰囲気が伝わってくる。お正月ですからね。素直に優しい気持ちで眺めるのが一番。
来年の年賀状は、早めに 少し手の込んだ物を作ってみようかな。
年頭から信心深い友人と、ラインのやり取りをする。考えてみると、私の知り合いの中でも一番の信仰心の厚い女性だと感心する。
私の心配や悲しみ苦しみを全部受けとめてくれる人であり、彼女自身もまた同じように重いものを抱えているようだ。
私は彼女の重荷を軽くしてあげることは出来ない。ただ共通して感動する心がある。
それによって明日をポジティブに迎えられるなら、それに越したことはない。
『恐れるな。怖がるな。絶望的するな。私が共にいる。平安であれ!』
さぁ明日からまた頑張りましょう✨
きれいな盛りの紅白南天
2022年の始まり. 今年も更に み言葉と共に✨
【保育所 調理まだまだ修行僧】
なんと、2ヶ月という時間があっという間に過ぎ去り、何とか無事にやっているわたし。
12日 という日にちが来る度に、3ヶ月、4ヶ月経ちました。とカウントしていくのだろうか。
ん~1年もつかな? いや半年?
長くて2年とみている。
この5年間は役所関係のデスクワークが主に私の仕事だった為か、半年間の求職期間(休養も兼ねて)が身体を必要以上に労っていたのか…とにかく…疲れる。手も指も膝も痛む。
正確には2ヶ月と20日…なんとブログで自分を見つめ直すことすら出来ないくらいに必死に慣れよう覚えようとしていたのか。
特に休み明けの胃の痛み、吐き気、背中の痛みなど病気かなと思うのも無理はない。緊張感…。
こんな??
こんな大変なの?
失敗は許されない。ちょっとしたミスもすぐに『言いましたよね!』とくる。
こんな言われないといけないのかとつくづく情けなくなるのだが、調理の現場では当たり前なやりとりがずっと続く。
もう… これは仕事だと思いたくない。例えば、
“ボランティア” と思うとする。すると、
不思議と気持ちが楽になるのだ。なぜ?
そうか、自分の場所ではない所で、人に指示され人の思いの通りに動いていれば問題ないし、(時給もすごく低いし) あくまで奉仕の精神を大切に、回りの為に働くのだ。
頭痛薬と胃薬。ほとんど休憩もなく雑談もないなか、何を心の安らぎとしようか。
今は神様助けてくださいとか言えない。仏様が助けてくれる筈はない。
それでも、なぜ私は朝になると仕事に向かうのだろう。
ずっと以前の事だが、友人とも言える知り合いが、仕事の事で鬱を煩い長期に休職していた事があった。
彼女の場合は正規職員で立場もある人だったが、明るく元気が取り柄だっただけに、
ポジティブな心を持続することの難しさを、傍に感じていた。
なんだろう、今の自分には明らかにキャパオーバーだと思うこともよくあるが、何故か何とか越えていけているようだ。いや、今のところだけかもしれないが。
とにかく午前中はたえず動き回り頭もフル回転で、走り続けている。還暦を迎えた身体で、どこまで行くのかと思いつつ年末を迎えた。
ちっちゃくて可愛い子供たちが、ぞろぞろと先生に導かれてやって来る。ちょうど忙しい盛りの時間だ。午前中は10時くらい、午後も片付けの頃、
『いつも美味しい給食をありがとうございます。頑張ってください。』と、大きな声で言ってくれる。
この声を聞く度にわたしの可愛い孫と姿がだぶってくる。そう、ちょうどおんなじ年齢の、やっとおしゃべりを覚えた可愛い顔で、わたしの孫ちゃんもこんな風に言ってくれてる気がして、嬉しくなり励まされる。
励まされるといえば、たまーに触れる聖書。日曜日の朝、今やZoom礼拝会が当たり前となったが、見なかった日には、何か忘れ物をしたような気分になる。きっと牧師のメッセージの中に何か心に光るものを見つけようとしているのだ。
今日 1月2日(日) 、メッセージの中のある言葉をメモしていた。み言葉を自分の糧とする私には、熱い言葉だった。
『聖書を心に携えておくと、人生の節目でしっかりと役割りを果たすことになる。』本当ですね。
年輪を重ねてから転職したり、再就職した時の、高すぎる壁や苦労。こんな状態をはたから見て気の毒そうに励ましてくれた優しい先輩が、かつての私にこう言って 納得されたことがあった。
『ああそうなんですね。あなたは聖書を学んでおられるから大丈夫なんですよ。』ありがたい。
孫ちゃん飾りつけショートケーキ
心暖まるドラマ~感動の『アンという名の少女』
今週のお題「あったか~い」
本が好きでいつも図書室に居た子どもの頃
たしかに『赤毛のアン』は読んでいたし、おそらく『若草物語』とごちゃ混ぜになって記憶している部分もあるわたしですが、今1番心を潤してくれる海外ドラマ。「アンという名の少女」
NHKで日曜日の11時。
翌日 仕事に出かけるため、録画予約で翌日楽しみにしている。…と、今回 シーズン3が始まって少し大人びたアンやギルバートが見られる!
とワクワクしていると、なんと録画予約を忘れたと言う失態。
でも大丈夫。Twitterでは見た方々の感想が押し寄せている。穏やかに想像を膨らまして来週を待とう。
もうこのドラマ、時代背景は第一次世界大戦の前頃ですので、家庭の乗り物は馬車。
はるか昔の時代のドラマでは、「大草原の小さな家」もそうでしたね。どちらも大好きな物語です。
またこの『アンと…』では毎回のように起きる事件…(偏見や差別)について…が現代の今でも、いつでも起こりうる事を取り上げてあり、胸が痛みます。
ただ有難い事に、解決の糸口を示してくれるのも見ていて落ち着くところでした。
シーズン2の中で、あの人見知りなマシューが、勇気を出して思わず立ち上がるシーン。『視点を変えて常に変化する事で人は成長できるんだ』と。
同じようにいつも心からアンを愛してるマリラ。私は彼女の様になりたいと願っています。
手作りの料理やお菓子もです。素敵です。
アンのクラスメイトもそれぞれが、成長していく過程が、個性的で魅力が満載です。
シーズン2の最後の教会での結婚式(バッシュの)のあと、見つめ合い語るアンとギルバート。これまでの幼いライバル心から信頼と愛情へと成長していく二人でした。
私は、この回で1番グッと来たシーンがありました。
シャーロットタウンから帰る列車に乗り込む直前に、電球の箱をもっていたアンにサッと手を伸ばし、『僕が持つよ』と男らしいギルバート。
思わず『ギルバート優しい~!』と叫んでしまいました。
「アンという名の少女」シーズン2
優しさに包まれている グリーンゲイブルス。窓から見守るマリラ。嬉しさに大泣きのアン。この優しさ暖かい愛に感涙~
今のところ、孫娘の大好きなバナナ味でスコーンを焼く時間が幸せなワタクシ。マリラの様に生きたい。
やはり愛があるから🌸何だってやれるような。
これは、今私がお勤めしている保育所の園長先生からのサプライズ🎉プレゼント。
まだ勤務5日目で、仕事にも慣れない時に
『N先生、お誕生日おめでとうございます。』とオマケのお菓子まで付けて下さり、頂いた花籠です。
心のこもったカードには、同じく還暦ライフを楽しみましょう❤と優しい暖かい言葉。
さらに、驚いた事に彼女は、私の同級生のお姉様であると言うことが分かり、とても嬉しくなりました。
今になっていきなり保育所勤務かな?
いえいえ全然そんなつもりは無かった私です。
あれは半年以上も前に応募書類を出した介護事務職の仕事。行政関係でした。
当時務めていた仕事が任期満了になる前に、次の仕事をあたっていたのです。
ですが申し込んでも、不採用通知ばかりが続き、すっかり諦めてしまいそうになり…最後の手段として年金事務所に行き細々と日々を送る心づもりを始めていたところ、
園長先生からの『もうお仕事行かれてますか😯』と言うお伺いのお電話を頂いたのでした。
こんな事もあるんですね。保育所の調理室で、急に人手が必要になって、少しでも経験がある応募者を遡って連絡する事って!
こちらにしてみると、思ってもいない出来事なので、多少戸惑いますが先ずは会いに行ってみようと直ぐに思いました。
会った後はもう、「出来る出来ないは、やってみないと分からない」と言う考えしかなく、現在に至るわけです。
この1ヶ月で、左手の腱鞘炎が再発し、右手指を痛め、さらに右腕を火傷すると言うアクシデントがありましたが、それも自力で乗り越えつつある所です。
そんなこんな短期間に色々ありますが、何しろ子供たちが可愛いです。
こんな可愛い小さい子供たちが、一生懸命遊んだり(お勉強)、食べたりしている姿ってなかなか見られ無いですよ。
時々、自分の孫ちゃんの姿と重なって見えるくらい可愛い。私は保育士では無いので離れた所で見るだけですが、充分満足ですよ〜
調理室の中では、先ずは覚える事がたくさんあって大変だったりしますよね。
再スタートの私は、いちいち聞く事が大事になります。「これはこうだろう」では失敗します。必ず聞く事、しかも朝から忙しい時ですから、大きな声で元気に聞く事が大切です。
大変な思いは、ほんの一時です。
一日の仕事が終わり帰る時は、お母さんのお迎えを待つ子供たちにバイバイするのですが、その健気な事といったら。その笑顔を見ると、この大切なお仕事の一端を関わっているんだな…と想いが引き締まる様です。
皆に優しく接して居られる先生方の、子供たちへの愛情ある視線の中で、子供たちは守られている。
どうか日々の働きがみてのなかにあり強く安全に守られますように🕊🍀*゜
白い丸いの見に行こう!収穫の秋🍂
10月の終わり頃、近所の田んぼに突如現れる白い丸いマシュマロ。
近くで見ると意外とおっきいのでビックリしました。
これは wcs (whole crop silage) 稲発酵粗飼料と言う事で、そう、 牛さんのごはんになるものですね!
あれーなあに? 白い丸いの見たいよ~
と言う訳で近くまで見に行ったよ。白いのさん、いち、に、さん、……じゅう!
ゆなちゃん大喜び。
みんなでお散歩するあぜ道。
川沿いの小道。小学校の見える風景 美しく懐かしい✨