2022年の始まり. 今年も更に み言葉と共に✨
【保育所 調理まだまだ修行僧】
なんと、2ヶ月という時間があっという間に過ぎ去り、何とか無事にやっているわたし。
12日 という日にちが来る度に、3ヶ月、4ヶ月経ちました。とカウントしていくのだろうか。
ん~1年もつかな? いや半年?
長くて2年とみている。
この5年間は役所関係のデスクワークが主に私の仕事だった為か、半年間の求職期間(休養も兼ねて)が身体を必要以上に労っていたのか…とにかく…疲れる。手も指も膝も痛む。
正確には2ヶ月と20日…なんとブログで自分を見つめ直すことすら出来ないくらいに必死に慣れよう覚えようとしていたのか。
特に休み明けの胃の痛み、吐き気、背中の痛みなど病気かなと思うのも無理はない。緊張感…。
こんな??
こんな大変なの?
失敗は許されない。ちょっとしたミスもすぐに『言いましたよね!』とくる。
こんな言われないといけないのかとつくづく情けなくなるのだが、調理の現場では当たり前なやりとりがずっと続く。
もう… これは仕事だと思いたくない。例えば、
“ボランティア” と思うとする。すると、
不思議と気持ちが楽になるのだ。なぜ?
そうか、自分の場所ではない所で、人に指示され人の思いの通りに動いていれば問題ないし、(時給もすごく低いし) あくまで奉仕の精神を大切に、回りの為に働くのだ。
頭痛薬と胃薬。ほとんど休憩もなく雑談もないなか、何を心の安らぎとしようか。
今は神様助けてくださいとか言えない。仏様が助けてくれる筈はない。
それでも、なぜ私は朝になると仕事に向かうのだろう。
ずっと以前の事だが、友人とも言える知り合いが、仕事の事で鬱を煩い長期に休職していた事があった。
彼女の場合は正規職員で立場もある人だったが、明るく元気が取り柄だっただけに、
ポジティブな心を持続することの難しさを、傍に感じていた。
なんだろう、今の自分には明らかにキャパオーバーだと思うこともよくあるが、何故か何とか越えていけているようだ。いや、今のところだけかもしれないが。
とにかく午前中はたえず動き回り頭もフル回転で、走り続けている。還暦を迎えた身体で、どこまで行くのかと思いつつ年末を迎えた。
ちっちゃくて可愛い子供たちが、ぞろぞろと先生に導かれてやって来る。ちょうど忙しい盛りの時間だ。午前中は10時くらい、午後も片付けの頃、
『いつも美味しい給食をありがとうございます。頑張ってください。』と、大きな声で言ってくれる。
この声を聞く度にわたしの可愛い孫と姿がだぶってくる。そう、ちょうどおんなじ年齢の、やっとおしゃべりを覚えた可愛い顔で、わたしの孫ちゃんもこんな風に言ってくれてる気がして、嬉しくなり励まされる。
励まされるといえば、たまーに触れる聖書。日曜日の朝、今やZoom礼拝会が当たり前となったが、見なかった日には、何か忘れ物をしたような気分になる。きっと牧師のメッセージの中に何か心に光るものを見つけようとしているのだ。
今日 1月2日(日) 、メッセージの中のある言葉をメモしていた。み言葉を自分の糧とする私には、熱い言葉だった。
『聖書を心に携えておくと、人生の節目でしっかりと役割りを果たすことになる。』本当ですね。
年輪を重ねてから転職したり、再就職した時の、高すぎる壁や苦労。こんな状態をはたから見て気の毒そうに励ましてくれた優しい先輩が、かつての私にこう言って 納得されたことがあった。
『ああそうなんですね。あなたは聖書を学んでおられるから大丈夫なんですよ。』ありがたい。
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