miriamsan’s diary

凹んでもすべては過ぎ去ります。大丈夫、緩めのブログでケ・セラ・セラ。

金木犀の香りと共に思い出となる。

【 葬儀翌日の礼拝会 】


何だろう  当たり前のように 牧師宅へ向かう。

Zoomを利用しての礼拝会参加はすでに20回を越えました。

今日は牧師の家へ行きたいと、妹が言ってくれた。

直ぐに私は娘に伝え、我が家だけでも伺おうと決めました。


すると長年のお付き合いのあるご夫妻がお孫娘さんを連れて来られたので、礼拝会の間中、私は自分の孫とその女の子をみていることにしたのです。


娘は奏楽を引き受けてくれて、初めての曲も初見で弾きこなしていた。

嬉しかった・・・。


自然な流れの中で、わたしは小さな子供と一緒に歌う事が出来ました。

子供教会とまではいかなくても、自然と懐いてくれて、我が孫娘も楽しそうにしていたのも、見ていて癒されました。


和やかにあたたかな時は過ぎて、長い間 患っていた心まで緩和されていく。


こんな日が来るとは想像もしていなかったけど、神さまのもとに召された陽子先生の、遺してくれた笑顔、優しい言葉が常にここにあると確信を持った日になりました・・・。


3日間に渡るお通夜や葬儀の流れは、全て夫である牧師によるものでした。


私は・・・葬儀屋さんが出棺以外は居ないという葬儀を初めて体験し、沢山の学びが有りました。もちろんジレンマもあり、悔しさ悲しみ、そしてコロナ禍での対応や

思いがけない訪問もあり、アメリカからは娘さんは来れなくなったというアクシデントも。

その為の3日間ものお通夜だったのですが・・・。それはそれで、十分にお別れをする事が出来たのかもしれません。


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【 日常に戻ると金木犀の香りが懐かしい 】


翌日

午前の仕事が終わり、帰路へ。

すると、何処からだろう  懐かしい金木犀の香りが、穏やかな気持ちを運んできてくれているようです。


「何処からかしら?金木犀の香りがするわね😊」

花が大好きだった陽子先生。

いつも切り花を持って見舞ってくださっていました。

誰にでも、分け隔てなく優しさを届けられていた  1つひとつの可憐な行動がそこかしこに生きている。


熱心な信仰に生きるとはこういう事なのだろう。命が尽きても、色んな場面で思い出され、微笑みながら優しく語りかけていてくださる。


豊かな家庭、何の心配もない家庭には興味がなく、心身共に病んでいる人や苦しんでいる人を決して見過ごさない。

必ず手を差し伸べてくれていた。


この人こそ尊敬し見つめて生きていきたい。