miriamsan’s diary

凹んでもすべては過ぎ去ります。大丈夫、緩めのブログでケ・セラ・セラ。

孤独でも愛の中にある。


f:id:miriamsan:20200815225942j:image

【 その様に生きられたら 】

 

ともに支え合い、ともに助け合う

ともにいのり合い、ともに笑いあう

イエスの愛のなかで

 

短い歌詞の中に神さまの愛が散りばめられている聖歌。

作った人は素晴らしいな。

 

苦しんでいる人がいたら、ただそばにいて


何かを言ってくれたらうなずいて、

笑ってくれたらほほえんで、

泣きそうな時は一緒に泣きたい。


🌱🌱


2歳の女の子(孫)は

駆け寄ってきて語りかけてくる。


咳き込んでむせていたら  『 ダイジョウブ?』って背中をなでなで🤗

 

1人でおままごとに熱中していても、

こちらの方はスマホで盛り上がっていると、駆け寄り 『 どうしたノ?』と聞いてくる🤭

 

このまま優しい娘に成長しますように。


🌿🌿


自分の事だけ考えていた。自分のやりたい事は何なのだろうか。自分は何をしよう。

自分・・・自分・・・。


若い頃のわたくし。


歳を重ねる度に、今度は自分は何処かへ行ってしまい・・・娘の気持ちが第一😊・・・孫ちゃんは何を食べるかな😌・・・家族には嫌な思いはさせたくない😃・・・に変わって行った。


自分を磨きたい若い時代が過ぎ去り、

出来る事で役に立ちたい今。


教会の奉仕もその一つなのかな。


長い年月の中で学んだ事といえば、

『 従う 』ということ。


何かと英語を使う機会の多い牧師ご夫妻ですので、大変勉強になります。

ある時 子供たちにカードでことば遊びをされていました。その中にあったカードに『 Obey』が有りました。

何と私は、その時から学んだのです。


どこかに反発する気持ちが隠れていたのでしょうか。世の中やどうにもならない事に、やるせなく投げやりになったり、自暴自棄になったりという事も。遠い昔にはあったような気もします。


そうではなく、会う人すべてを師と仰ぐなら、素直に聞く気持ちも生まれて来るものです。もちろん部分的でもいいと思います。


「1人で頑張って来たのでしょうネ。これからは大丈夫です。常に私たちが居ますし、何より神さまに祝福されています。恵みがあります。


優しい牧師夫人の言葉に涙し、み言葉に触れ、私は年々変わって来ています。


共にいて下さる存在を感じながら。