ハッとして、思いめぐらす夜の事。
【 自分だったらと考えます 】
様々な病に効く薬がある現代ですから、信頼出来る、又 相性のいい病院・医師によく相談する事は重要な事ですね。
私の妹が長い間苦しんできた 統合失調症についても、不思議なくらい 今の病院での処方が合っており、お薬も毎日1つだけ同じ時間に服用しています。
両下肢に麻痺がある為、思うように自分では歩いてゆけなくて、歯がゆい思いも 子供の頃から抱えていたのです。
あらゆる治療や手術を重ねて、杖歩行出来る様になっているのですが、私同様 年齢を重ねてくると、思わぬ所でつまずいたり倒れたりするので、家の外では手をしっかり支えるか、車椅子を使います。
この2年位はデイサービスに行けるようになり、本人も慣れてきたのか、行く支度は自分でするようになりお互い少し楽になって来たように感じます。
ですが、感受性の強い性格で時にひどく疲れた様子もあり、人生の折り返し地点を過ぎた私も妹も、これ以上の気持ちにならないように・・・。
それこそ祈るような毎日で、だけど1日1日を大切に生きています。
時々 ハッとして、知らないうちに涙が止まらなくなるくらいネガティブになり、誰かにすがりたくなるような一瞬も あります。
だけど不思議なものですね。
今、この場所で こうして居ること、仕事にも車で出かけ(今はパートなので) すぐに帰ってこれる。
話そうと思えば 家族以外の友人やご近所さんも居る。教会の牧師や友達も直ぐに手を差し伸べて下さる。
そういう安心感の中で暮らして居る幸せ。
時々、
妹が壁や柱を伝って部屋に戻る途中ふりかえり、『 ありがとうね 』と、言う時がこの頃よくある。
一時期の苦しい時を乗り越え、今を感謝して生きられる事で落ち着いている。
家族に病気や障害があったり、また自分自身が病をもっていると、黙ってそばに居てくれる家族の存在は大きい。
悲観せずに将来に希望を持ち続ける。
聖書を良く理解し、いつも読んでいた妹から学ぶ事は多いが、妹に聖書を教えたのは・・・
最初は近所のおばさんだったというから、おもしろい。おばさんも今はずいぶん高齢になられたが、その頃は元気によくドライブなど誘ってくれてたんだそうで、本当にお世話になりました。
社会の中には、人の痛みや苦しみを少しも理解出来ない 差別的な人も居るのは悲しい事実です。わかってくれとは言いませんが、鋭い言葉だけは辞めて欲しいものです。
せっかく 言葉を使って生きているのですから。
言葉は優しく柔らかい方がいいですね。
今日は、少し考えていた事を言葉にしてみました。
そして最後に、Twitterで癒して下さる片柳神父さまのカードをご紹介させて下さい。