miriamsan’s diary

凹んでもすべては過ぎ去ります。大丈夫、緩めのブログでケ・セラ・セラ。

【 いのち 】を大切にしよう。もう一度会いたいからです。

『 もう一度会いたかった・・・。』

・・・このところ、ブログを書けない程の疲労感が漂いまして、そんな時は早く寝るしかなく  諦めて身体を横たえる時間が早くなっておりました。

ですが、一度此処に書き記す事で気持ちの整理をしようと思いましたので、今日はそのお話しです。

 

それもそうですよね。家族のように慕い親しんでいた方が天に召されたのですからね。

 

3日間の通夜の間は気を張っていたのか、涙すら流さなかった。

キリスト教の牧師の奥様でした。喪主は牧師です。何がどうなるのやら、手探りしながら、1番近くに住む私はなんでもいいからお役に立てれば幸いだと、お手伝いの為に通いました。

 

それが3日目の夜、遂につらくなり涙がとまらなくなりました。朝方までひとり自宅で悲しみすぎて、告別式には遅れて参加しました。

 

いつも優しい笑顔で、会う度に小さくバンザイし手をたたいて喜んでくれるあの方はもう、神さまのみ元に。

遺された私(私たち?)は、3週間経っても脱力感で、ぼんやりしそうになる。

 

家族ではなくても、家族のように愛された私(私たち) は、これからどうしたらいいのだろうか。

 

私はまだ、いい状況ですよね。相変わらず母や妹と一緒に暮らし、可愛い孫の愛くるしさに癒され支えられ、仕事も通い気持ちも紛れます。

 

ふっと立ちどまる時、

あの時もっと話をしていたら良かったな。

あの時もっと適切な食事のアドバイスが出来ていたら(とても難しい事だった)。

コロナ禍でなかったら、もっと会えたのに!と。

 

近親者を亡くされた方は皆、

気丈に振る舞いながらも、微かに後悔の念と戦っている。

 

🌿🌿

 

NHKの朝の連ドラ “エール" で、森山直太朗さん演じる藤堂先生。

彼が戦場で亡くなる直前のシーン。

愛する妻と子どもを思いこう言い遺す。

『 もう一度会いたかった・・・』

亡くなって行く人の無念さ、 本心が遺された言葉。

遺された側も、『 もう一度会いたかった』と必ず泣きます。

(史実では、ご本人80歳まで生きておられたらしいですね) 

 

さて、・・・悲しむのは、そろそろ卒業しなくてはなりません。それで、"エール“ が大好きな私は共感する部分が 『 頑張っている人を励ましたい 』という思いです。

何とかして、私なりにエールを贈る事で、事実 私自身も励まされている事は、この過去20年間の教会の活動の中で体験して来た事なのです。

 

今日の最後に、

“エール " で、感激の涙のシーンがこれでした。


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コラムから一部分をお借りしました。

 

運動会のシーンです。遅れをとった裕一を、藤堂先生が音楽の演奏の指揮をとり、励ますところです。

出勤前に涙が止まりませんでした。

 

音楽は励まされます。私も少しだけ強く踏み出して、気持ちを強く持って行けそうな気がしてきました。